東京行進曲
小川達也

 溝口健二監督は、黒澤明監督、小津安二郎監督と並び称される日本映画の巨匠で、ヴェネチア国際映画祭で三年連続受賞という快挙を成し遂げています。『西鶴一代女』(1952)でヴェネチア国際映画祭国際賞、『雨月物語』(1953)で銀獅子賞を受賞し、1954年には、『山椒太夫』(1954)と黒澤監督の『七人の侍』が争うことになりましたが、見事、銀獅子賞を受賞しました。ちなみにこの年、衣笠貞之助監督はカンヌ国際映画祭に『地獄門』を出品し、グランプリに輝いています。日本映画が国際的な映画祭で数々の賞を手にしたこの時期は、日本映画の黄金期と言えるでしょう。
 溝口監督の特長は非常に上手に女性を撮ることです。例えば、理想と現実の間で悩みながらも、結局は現実と折り合いをつける娘(『噂の女』)。自分のところで働いている絵師と愛の逃避行をする人妻(『近松物語』)。赤線地帯で働く女達(『赤線地帯』)。妹のお見合いに付き添いながらも、お見合い相手を魅了してしまう姉(『お遊さま』)、などなど。溝口監督は映画のあらゆる要素(人物の動き、台詞、音楽、モンタージュなど)をうまく利用して女性の繊細な心の動きや感情の変化をスクリーンに映し出します。実際には目に見えない登場人物の心をスクリーンで「見せる」。見事な演出です。

 このように、言葉にできない人間の本質的な「何か」を、映画という媒体でしかできない方法で表現しているからこそ、溝口映画は今でも色褪せることなく、新鮮なままでいられるのだと思います。溝口監督が映画を作っていた頃とは時代も社会の状況もまったく変わっていますが、時代を超え、空間を飛び越え伝わってくる何かが溝口映画にはあるように感じます。また、日本という特殊性を維持しつつ、普遍的な何かを問う姿勢が国際的な評価につながっているのでしょう。

 そんな溝口監督の1929年の作品『東京行進曲』は、雑誌『キング』に連載されていた菊池寛の同名小説が原作です。下町娘の道代(夏川静江)が芸者になりブルジョワ青年良樹(一木札二)と恋に落ちる話(だけではありませんが)を描いた無声映画です。日本ではビデオもDVDも出ていないため、なかなか見ることのできない作品ですが、この作品のDVDがフランスの映画雑誌「Cinema 05」に特別付録でついているのです。これは、パリのシネマテーク・フランセーズがそのコレクションの中から1999年に修復したもので、20分間しかなく、完全版ではありませんが、溝口監督の若き日の作品を見ることができるという、お得でうれしいDVDです。

 『東京行進曲』は「傾向映画」(左翼的傾向を帯びた映画)と呼ばれています。崖の上のテニスコートと、その下にある貧民窟を対比させているところなどが傾向映画的な部分なのですが、20分のDVDを見るかぎりでは単なるメロドラマにしか見えません。なぜなら、このDVDからは傾向映画的要素がなくなっているからです。『東京行進曲』はもともと80分から100分くらいある映画で20分の中には出てこない登場人物が何人かおり、特に重要なブルジョワ青年の姉妹、小百合(入江たか子)となつ子(佐久間たえ子)が出てきません。下町娘の道代と対照的に描かれるこの姉妹の存在は多分に傾向映画的です。また、カフェの女中=プロレタリアの澄江(滝花久子)とブルジョワ青年良樹の会話シーンもカットされています。このように傾向映画的要素が欠落しているため、メロドラマ性が強調されてしまったわけです。しかし、そのおかげで、社会批判に傾きすぎて物語を台無しにすることもなく、物語を重要視しすぎて批判精神が弱められることもないという、溝口監督のひとつの特徴を知ることが出来きます。言うなれば、溝口監督はしっかりとした物語の中に、巧みに批判精神を忍び込ませているのです。つまり、どちらか一方ではなく物語も批判精神も両方を大切にするバランス感覚に優れている監督だと言えるでしょう。この特徴、このバランス感覚は晩年の作品でより研ぎ澄まされていくのですが、1929年の『東京行進曲』はそんな未来を予感させる作品です。

 では、傾向映画であると同時にメロドラマである『東京行進曲』は当時どの程度人気があったのでしょうか?それは、この映画の主題歌(中山晋平作曲、西条八十作詞)が当時大ヒットしたことから想像できます。恐らく、たくさんの人がこの映画を見るために映画館に足を運び、街のあちこちでこの主題歌を耳にしたことでしょう。大ヒットした曲の歌詞はこんな感じです。当時の東京の雰囲気に酔いしれてみてください。ちなみに、これは日本映画主題歌の第1号です。

東京行進曲
作詞:西条八十  作曲:中山晋平

昔こいし  銀座のやなぎ
仇な年増を  だれが知ろ
ジャズで踊って  リキュルで更けて
明けりゃダンサーの  なみだ雨


恋の丸ビル  あの窓あたり
泣いて文(ふみ)書く  人もある
ラッシュアワーに  拾ったバラを
せめてあの娘(こ)の  思い出に


広い東京  恋ゆえ狭い
粋な浅草  しのび逢い
あなた地下鉄  わたしはバスよ
恋のストップ  ままならぬ


シネマ見ましょか  お茶のみましょか
いっそ小田急で  逃げましょうか
変る新宿  あの武蔵野の
月もデパートの  屋根に出る


 1929年の日本映画が70年の時を経てフランスで蘇ったということは歴史の偶然なのか必然なのか、なんとも言えない不思議な気がします。そんな不思議に阿部海太郎君の大胆不敵(この映画のために音楽を作ろう!)が加わって、今回、日本でこの作品を見るチャンスがやってきました。この映画にあわせて、彼がどのような音楽を聞かせてくれるのか、今からワクワクしています。

(小川達也 / Tatsuya OGAWA)